まなびの地図

働く母のトライ&エラーな日常を書いています。

コロナ禍でのお祭り開催のニュースを見て思ったこと

先週、こんなニュースを目にして、ふと考えたことがありました。

岸和田「だんじり入魂式」 見物客の声援はなし…感染対策徹底も想像以上の人出に(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

マスクつけた踊り手に「なぜか涙が」 阿波踊り、探る姿 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 

感染が拡大しているこのコロナ禍で、お祭りをやる是非についてはとりあえず置いておきます。

私は、このニュースを見て先日読んだ本について思い出しました。

その中から、私が思ったことを書いてみます。

 

古来から、お祭りといえば疫病が収まるように、願いを込めて行うような、

呪術的、宗教的な意味を持ち合わせていると思います。

お祭りをすることで、世の中が平和になるような願いを込められているのだと思います。

 

(もちろん、それは理由のひとつで、

本当はその地域の人々の持て余しているエネルギーを発散させるためのものでもあると思いますし、

もっと政治的、経済的な要素も多く含んでいるとは思います。)

 

そこで、先日読んだ本に書いてあったことをふと思い出しました。

 

 

私たち現代人は、科学的なことが絶対だとつい考えがちです。

ただ、その「科学的であること」自体が、私たちが普段嫌厭しがちな「宗教的なこと」ではない、と、どうして言い切れるのでしょうか。

つまり、私たちが信奉している科学というもの自体が宗教的だと言える可能性はないでしょうか。

と、いうようなことが書いてありました。

 

お祭りをやる地域の人々は、感染拡大の恐れがあることは理解していると思います。

経済的、政治的な影響ももちろん考えられますが、

その地域の人々にとっては、科学的な数字より大切な、見えない何かがあるのではないかなと思います。

経済的、政治的な理由だけではない、それ以外の別の何かです。

それを大切にするためのお祭りなのではないかなぁと、ぼんやりとそんなことを思いました。

 

医療、経済といった数字で見える科学を信じるのか、別の何かを信じるのか、とても難しい判断だと思います。

コロナ禍という特殊な状況と環境は、自分が何を大切にしたいのか

改めて自分の価値観を知ることができる機会でもあるのだなと思いました。

 

確かに科学的な数字は根拠として大切だし、そういった色々な情報を自分で主体的に調べていくことは大切だと私は思います。

ただ、その数字や科学的根拠を知ることで、自分がどう感じて、何を信じてどう考えて行動していくのかが重要なのではないかなと思っています。

 

これを読んでくださっているあなたは、どう思いますか?